そう言えば”みんなの党”なんていうのも前回の選挙で誕生した。
そして近いうちにもう一つ元地方の首長等が政党を作るそうである。
自分には正直関心のない話である。それは何故か。今の政党政治に期待するものが見えないからである。
今回の新政党について土日の色々なTV番組内で「年寄りに何ができる?」「党首と副党首の政策思考が相違しているのに上手くいく訳がない・・」とパネラーに意見され、離党元の自民党のある現役代議士は「離党が4名なら良かった・・」との意見を出す。みんなの党の党首に至っては誕生した政党名を「立ち枯れ日本?」と揶揄する始末。与党民主党は、”まぁどうでもええ・・”程度。全く堪えていない。
今、国民は国会に、政治に、何を求めているのだろうか。
浮世離れした政治献金問題より、真っ先に国会で話合い、議論する国民目線の課題がいくつもあります。
以前Blogで愛社精神に言及したことがある。現代では愛社精神なるものが薄れてきつつあると書いた。同様に「愛国心」も持ち合わせなくなってきた。
お隣り韓国では国レベルで色々なことに取り組んでいる。先の冬季オリンピックも少数精鋭のメンバーで日本を遥かに凌ぐメダルを獲得した。噂に聞けば、ソチ五輪の次の開催地を韓国に誘致するため国を挙げて選手の強化に取り組んだ結果だという。映画は、もう何年も前から国策として取り組み、映画に係る費用は国民からの投資を促した。その投資に応えるために映画会社は凌ぎを削り壮大な映画を世界に送りだしているのである。
最近では大統領の命を受けて”デザイン”に取り組んでいるという。
世界で上位の国に入ることを目指し、国家レベルでテーマを掲げ、国民の気持ちを刺激する。
2002年のサッカーワールドカップを思い出す。
開催前、TVでは、”応援の仕方(応援の掛け声、振付など)”を連日放送していた。「クンミンヨロブン(国民のみんな)!真っ赤な服を着て、応援しよう。」の掛け声。その結果が、我々もTVの前で驚愕した(気持ち悪いほどの)あの赤の応援だったのである。全国民の後押しが、韓国チームに、ベスト4という歴史的な結果をもたらしたといっても過言ではない。
韓国人は、日常的な会話の中で”ウリナラ”という言葉をよく使う。”ウリナラ”とは、「わたしたちの国」という意味である。日本人は、これに近い”我が国”という言葉ですら、畏まった場面でしか使われない。
この日常生活で頻繁に使われる”ウリナラ”こそ、愛国心の表れではないかと思う。(韓国ドラマがお好きな方は、注意して見てみるといい。”ウリナラ”という言葉が結構出てきます。)
戦後、高度成長期。我々の先輩たちは、日本を誇りに思い、頂点目指し一丸となって世界と戦った。
昨年夏の”官僚たちの夏”のドラマ然り、先だっての”不毛地帯”然り、いずれもフィクションではあるが、実のところノンフィクションに近い物語であり、あの時代の国民の一体感が映し出されていた。
ドラマに感銘を受けた国民も多いだろう・・。今の日本に、国民が一丸となれる何かがあるだろうか・・。
それが無いのが現状である。本来は、その先導役となるのが国民から選ばれた政治家であり、その頂点が総理大臣である。
ところが、その先導役が、自らの保身のために東奔西走し、泥仕合を繰り広げる・・。
見ていて見苦しい。政界再編の波が押し寄せてきている・・と言うが、言葉・活字だけが躍っている気がしてならない。要するに、選挙に勝つための戦略にしか見えてこないのである。
今年、坂本龍馬が大人気である。坂本龍馬の人を惹きつける魅力と行動力・・・これが今の時代に受けているのでしょう。
ある政治家が、自分は平成の坂本龍馬・・なる発言をしていたが、勘違いも甚だしい。というよりも、国会議員の地位にある者が自分で俺は坂本龍馬という、その人間性に呆れてしまいます。
ある政治家が、自分は平成の坂本龍馬・・なる発言をしていたが、勘違いも甚だしい。というよりも、国会議員の地位にある者が自分で俺は坂本龍馬という、その人間性に呆れてしまいます。
くしくも昨晩のNHK「龍馬伝」。劇中、龍馬が人斬り伊蔵に語りかける場面。「人は其々意見を持っている・・ただ一つ言えることは、誰も日本が滅びることを望んではいない・・喧嘩をしても何の解決にもならない・・・皆で力を合わせて考えることが大事なのだ・・・そうでなければ、日本は滅びてしまう。」
胸に沁みる言葉だ。脚本家が龍馬伝を介して、今の日本に訴えたかった言葉ではなかろうか・・・。
誕生した新党名ではないが、「立ち上がれ日本」と言う前に、全政治家には国民を魅了するテーマ(政策)、国民が一丸となって取り組めるテーマ(政策)の発現を期待してやみません。