6/01/2010

公正証書遺言・・

事務所の金庫の中には、10通以上の公正証書遺言の副本が保管されている。
先日、新たに1通追加された。

何故、公正証書遺言の副本を預かっているか・・・それは、私が遺言執行人に選定されていることにある。

TVドラマの劇中では、遺言の場面には弁護士が登場することが多いのであるが、遺言を残される方の多くが相続税にも関心を持たれていることから、実際には我々税理士が遺言の手続きを進めたり、立会人や遺言執行人となることが多いのです。

公正証書遺言については、あらためて説明する必要もないが、その法的効力は絶大である。

遺言執行人は、その公正証書に記載された内容について、極端な言い方をすれば、葬儀の間でも粛々と執行する権限を与えられています。とは言え、実際には初七日法要が終了したあとに、相続関係人を前に被相続人から委ねられた遺言書を読み上げることから始まるのですが・・・。

ところで・・・お預かりしている遺言書。不思議なことに、現在まで執行されないでいる。
中には、書かれてから10年以上経過しているものもある。

これは、言いかえると、託した方々が皆、現在もなお、元気だということです。遺言を書いたことで、心身ともパワーアップしたのでしょうか。
そういう意味では、遺言は法的効力だけでなく長生きに対する効力もあるのかもしれません。

「わしの目の黒いうちは、渡してなるものぞ!!」何かそんな声が聞こえてきそうです。

逆に、くれぐれも託された方より先に、相続人としての地位のある方が先に天国に旅発つことのないように・・・・・と、老婆心ながら少々心配をしてしまう、今日この頃です。

5/31/2010

人は変われるのだろうか?

仕事のことで久しぶりに受験(税理士試験)時代の同志であるS氏に電話をした。
自分の携帯電話に、彼の携帯電話の番号は登録されている。

彼此5年くらいのご無沙汰。もしかすると電話番号変わっているかも・・しかし杞憂に終わった。

間髪いれず、受話器の向こうから「久しぶりです。」の言葉が返ってきた。

要件を簡単に伝えた後、近況話に花が咲いた。
相当ご無沙汰していたにも関わらず、その時代のことが走馬灯のように蘇ってきた。
「加藤さん、変わってなくて良かった」の言葉に、ある場面が頭を過った。
何年か前のことであるが、高校時代の友人との会話の中でも同じような言葉を言われたことがある。
「お前だけは、高校時代と変わらないな・・」

良い意味なのか、悪い意味なのか?その後も、嘗て拘わった方に偶に会うと、同じ事をよく言われる。自分では良く解らないが・・・・そうそう自分の性格を変えられるわけではない。これが自然体なのだから。

仏頂面(真面目腐って)して会話を始めても、ウルトラマンのカラータイマーの如く3分間でそのスタイルが面倒くさくなる。ならば、初めから、ノー天気に楽しい会話をしたほうがいい。
「変わっていない」と言われる所以は、多分ここから派生するのだろう。

10年後、20年後はどうだろうか?

ただ、今日S氏からの「変わってなくて良かった・・」の言葉は、個人的には、とても嬉しい賛辞であったことは確かである。

そう言えば、今晩読もうとしている東野圭吾の作品が、「変身」。なんとも奇遇である・・。

(法人税)慰安旅行

従業員レクリエーション旅行の場合は、その旅行によって従業員に供与する経済的利益の額が少額の現物給与は強いて課税しないという少額不追及の趣旨を逸脱しないものであると認められ、かつ、その旅行が次のいずれの要件も満たすものであるときは、原則として、その旅行の費用を旅行に参加した人の給与...