スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

10月 11, 2009の投稿を表示しています

偶然にも・・

クライアント訪問のため浜松へ。 いつも通り8:00に事務所を出発。豊田ICから入り、豊田ジャンクションに差し掛かったあたりから、渋滞が始まる。 ここの渋滞は、毎度のこと。事前に先方には10時到着を伝えているから、別段焦ることもない。 気のせいか?・・確かに渋滞しているものの、いつもよりスムーズだ。 豊川ICを8:30頃通過し、「この調子だと、9:30前に到着してしまうかも・・」そう考えていた。
三ケ日ICを過ぎて、浜松SAを超え浜松西ICへ。
浜松SA手前の電光掲示板に”浜松西出口 渋滞2km”と出ているのに気がついた。 「珍しいな・・・事故?」 浜松西IC手前2kmから、確かに路肩に自動車がハザードランプを点滅させて並んでいる。 自分も並んでいる車の後に付いた。 ルームミラーで後続の車両を見ると、何台か後ろに観光バスが数台いる。 「なんか博覧会でも開催されているのか?・・・”うなぎ博”?・・そんなことないか。聞いたことないし。」
20分程、動いたり止まったりしながら、やっとインターチェンジのランプが目に入った。 その時、大きな雷のような音が・・・。「何だ?」
その瞬間、映画で見たステルス戦闘機のような機体が視界に入った。かなりの低空飛行。 低空飛行したかと思ったら、期待を横に向けてほぼ垂直に飛んでいく。 「浜松基地が近いから、航空自衛隊が練習でもしているのか?それにしては、過激な飛行だな・・・。」
よく見ると、1機だけじゃない。2機、3機・・5機6機・・が同じように飛行している。
不思議な光景を見ながら、漸く料金所を通過した。 料金所を出て、左折。道路は、いつものように空いている。 「何だったんだろう・・・さっきの渋滞は?」そう思いながら、クライアントの会社に到着。 時計の針は、9:55。
予定通りの時刻に到着したので、浜松西ICで渋滞してたことには触れずに、早速仕事の打ち合わせに入った。
11:;30を過ぎた頃。
急に雷のような音が。IC手前で聞いたあの音だ。そこで、初めて社長にIC出口での出来事をお話した。 「実は、今日は浜松西ICの手前から大渋滞でして・・・そこで、今聞いた雷のような音とともに、戦闘機らしき機体が目の前を通過して行きまして・・・・」と。
社長さんからの回答で全てが判明しました。
今日、”航空自衛隊 浜松基地 航空祭(航空ショー)”が開催されていることを。 IC手前で見た光景は、多分、そのための練…

委員会懇親会

昨日は、税理士会豊田支部の10月定例会がありました。3年ほど前までは、税理士会には殆ど出席することがありませんでしたが、ここ数年は8割ほど出席しています。
豊田支部も自分が15年前に税理士登録した時点では60名を少し超える程度の人数でしたが、ここ数年で登録者も増えて100名近くとなりました。
若い方もずいぶんと増えて、15年前と様変わりしている気がします。 まだまだ若いと思っていた自分がいつの間にか中堅、いや、もはやロートルの域。年月の経過を感じます。
昨日、定例会後に「委員会懇親会」なるものが開催され、出席させていただきました。 ここ数年の間に入会された方とは、例会で、あまり話を交わす機会がなかったので、とても良い「懇親会」だったと思います。
また参加したいと思います。お疲れ様でした。

2年ぶりに。

昨晩、2年ほど前に封印し物置の片隅に仕舞い込んでいたゴルフクラブを久しぶりに持ち出してゴルフ練習場に向かった。娘と二人で。
今年1月、長女が大府市のあるゴルフ練習場でゴルフスクールに入会し、それから毎週末通い始めるようになった。
自分は、2年ほど前にゴルフクラブをおいた。特に理由があるわけではなかったが、強いて言うならば「基本的に好きでなかった」からだと思う。
それから暫くは誘いの声もかかったが、最近ではそれもなくなった。
今年8月。長女からコースデビューしたと聞いた。スクール入会当初、「そんなに長くは続かないだろう・・」と高を括っていたので正直驚いた。
先月も、そして今月に入って先週も会社の同僚に誘われて・・・・月1回ペースでコースに足を運んでいるという。
一昨日の晩、「練習場に一緒に行ってみるか。」と切り出してみた。 「いいよ。」の返事で、昨晩それが実現した。娘の帰宅を待って、21時過ぎに練習場へ。
2年ぶりにゴルフクラブを握った。「好きになれなかったゴルフ」がとても新鮮に思える・・・・。 娘と一緒にゴルフ練習場に行く・・・・このシチュエーションがそう思わせたのかもしれない。
また始めてみるか・・。
いつの日か、娘と共にゴルフコースを回れることを楽しみに。

扶養控除是正通知

毎年この時期になると前年の所得に対する「扶養控除等是正通知書」が税務署から発送されます。今年も数件のクライアントに届きました。
年末調整を行う際、会社は従業員から提出された”扶養控除等申告書”に基づいて扶養控除の額を計算します。 扶養控除等申告書には、従業員各人が「どなたを扶養しているか」を記載するものであり、一般的には「父母」「配偶者」「子供」が対象となります。
但し、対象となる者が基礎控除(38万円)を超える所得を取得している場合には、被扶養者からは除かれます。
このことは、世間一般、どなたもご存じだと思います。 「旦那の扶養に入りたいから、パート収入を103万円までに抑えてます。」・・・よく聞く話です。
それでは、何故「扶養控除等の是正」が発生するのでしょうか?
ここ数年来の傾向を纏めると、大きく次の4つに原因がありました。
一つ目は、「103万円を超える給与収入があったけれど、そんなに多くないからバレることはないだろうと思っていた・・・・。」 残念なことに、世の中そんなに甘くない。被扶養者が仮にパートやアルバイトであっても、その勤めている会社が、税務署や市町村に源泉徴収票を提出することで判ってしまうのです。
二つ目は、「そんなに稼いでいたとは、知らなかった・・・。」 言っている意味が良く分からないかも知れませんが、要するにコミュニケーション不足。 「息子とは日頃会話する機会が乏しく、アルバイトをしていることは知っていたが、そんなに稼いでいるとは・・・。」がよくある例。扶養義務者の思い込みに因るものと言えます。
三つ目は、二重扶養。例えば、母を自分の扶養に入れていたが、実は父の扶養にも入っていたというような場合。こちらも、二つ目同様にコミュニケーション不足から生じることが多いようです。
最後は、”103万円のマジック”。 あくまでも扶養に入れることが出来るのは、被扶養者の年間の所得金額が基礎控除(38万円)以下であることが条件。 パート収入やアルバイト収入は「給与所得」に分類されます。「給与所得」には、「給与所得控除」が認められていて、この給与所得控除後の金額が所得金額となります。 被扶養者が103万円のパート収入の場合、給与所得控除額は65万円ですから、103-65=38万円が所得金額となり、基礎控除(38万円)以下だから、扶養に入れることができるのです。
ところが、給与所得以外の所得に10…

便利な道具

半年ほど前から常に自分の傍にある、”お気に入りの道具”があります。
それは、「電子辞書」。
現代社会では、TVにラジオ、新聞に雑誌と多種多様の言語が入り乱れています。
中でも特に気になるのは、英語を引用しての会話や表記が増えたこと。 英語と言うよりも英語らしき言葉というのが正しいのかもしれませんが。
TVで時事討論や時事解説を見ていると、論客や解説者から英語を交えた発言・説明が至所にでてきます。誰でもわかる英語(例えば「長嶋茂雄」さんが会話の中でついつい使ってしまうくらいの英語)ならば問題ないのですが、専門用語が英語に置き換えられると「えっ、どういう意味なのだろう?」と悩みます。
新聞や雑誌でも、ここのところカタカナ表記がやたらと目につきます。
最近では亀井大臣が発言した「モラトリアム」。 英文表記ではmoratoriumと書きますが、「支払猶予」、「支払延期」という言葉(日本語)を用いてくれていたら容易に理解できるでしょうが、初めて「モラトリアム」という言葉を耳にした人は、その意味がわからなかったのではないでしょうか。
そんなわけで、自分は、少しでも言葉の意味が解らないときに「電子辞書」を開くようにしています。 所有する電子辞書には、「広辞苑」「和英」「英和」「英英」「ビジネス英語」「ビジネス用語」が備わっています。これ一つで、殆ど対応できます。
英語のスペルが判らなくても、ひらがな(若しくはカタカナ)で入力すれば、その意味が瞬時に表示されます。 「なるほど。そういう意味だったのか。」と新たな発見をすることしきりです。
また、日頃パソコンを多用することで、逆に文字を書く機会が少なくなったせいもあり、実際ペンを持って紙に書こうとすると漢字が浮かばない・・・・・・こんなときも、「電子辞書」に助けられています。
昔から電子辞書を愛用されている方にとっては、今更・・でしょうが、自分にとっては今、これが最高の道具。 胸ポケットに入るコンパクトなサイズ。 これからも、長い付き合いになりそうです。

体育の日

事務所はカレンダー通り土曜日から3連休にしていますが、自分は一人こもって仕事。 今回の連休、前から仕事に充てるつもりでいましたので、予定通り。 私の場合、平日は来客やクライアントへの訪問がありますので、思うように仕事が捗りません。 そのため今回の連休のように、土日や休日に集中して仕事をすることが多くなります。
この3日間は、ある8月決算法人の申告手続きに集中して取り組んでいました。 ようやく終了し、今、ひと息付いているところです。
10/2のblogで「自家製ミカン」のお話をしましたが、この10日間で写真のように黄色く色づきました。 ひと息ついたところで、一つ捥いで口にしたところ・・・・10日前よりも数段甘みを増し、食べごろです。 疲れた時のビタミン補給に・・・ありがたいものです。
仕事も一段落したし・・・今夜は映画(ナイトシアター)でも見に行ってこようかな。

流石に南アフリカは・・行けないでしょう?

2010年、ワールドカップ南アフリカ大会。
アジアの代表枠は既に4ケ国(日本、オーストラリア、韓国、北朝鮮)で決定していますが、欧州や南米ではまだ出場権をかけた戦いが繰り広げられています。 欧州では、「オランダ」「スペイン」、南米では「ブラジル」といった間違いなく2010年大会で優勝候補に挙げられるであろう国は順当に出場権を獲得したものの、C.ロナウド要する「ポルトガル」にマラドーナ監督、メッシ要する「アルゼンチン」、そして「フランス」と本選出場に黄信号が点滅している状況です。 今日、漸く「ドイツ」「イタリア」が本選出場を決めたと伝えられました。
自分は小学5年生のとき、「飛び出せ青春!」というドラマを見たことをきっかけにサッカーに興味を抱きサッカー部に入部。それ以来、今日に至るまで根っからのサッカーファンです。 当時、我が国でサッカーといえば超マイナーなスポーツ。TVでは日本リーグの試合が、年に数回放映されていたか否かの時代でした。 そんな時代に唯一、”ワールドサッカー”を放映していた三重テレビ「三菱ダイアモンドサッカー」。 母に頼みこんでアンテナ立ててもらったこと今でも覚えています。 週一回の放映が待ち遠しくて・・・。 確か、岡野俊一郎さんが番組のパーソナリティーだったかと思います。 「王様ペレの1000ゴール」「天才フォワード、ジャイルジーニョ」・・・「皇帝ベッケンバウアー」にトータルフットボールを掲げたオランダチームの要「ヨハン・クライフ」。 この番組を通じて初めて「世界のサッカー」を知りました。と同時に、世界のサッカーが「別次元」のものだと痛感しました。
あれから、36年。 1993年5月のJリーグの開幕とともに、サッカー人口は増加し、1998年フランス大会で初めて代表チームが”ワールドカップ本大会”へ出場。 その後は2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会、そして2010年の南アフリカ大会と4大会連続で出場権を獲得しています。
昨晩、久しぶりに、日本代表の試合(キリンチャレンジカップ2009・・JAPAN×スコットランド戦)をTV観戦しました。 2010年の南ア大会でベスト4を目標に掲げる”岡田ジャパン”に期待して観戦しておりましたが、ゲームには勝ったものの、目標にはまだまだほど遠いと感じました。
あの「フランス」「ポルトガル」「アルゼンチン」でさえも出場権獲得が危ぶまれるほどの世…